シブヤ大学は、
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第三期「しぶやをつくるゼミ」ゼミ生募集説明会を開催します。

朗読入門ワークショップ~みんな違って、みんないい!

自分らしい生き方探求部「肩書きとわたし(私史) Vol.2 」

「継承の場面」 その11 能楽師と刀鍛冶が伝えるその世界

「継承の場面」 その10
子どもの未来について~これまで、今、これからの子育て

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はじめてのアーユルヴェーダ ~スパイスを使って、身体の状態に目を向けてみよう~
こんにちは。シブヤ大学ボランティアスタッフの佐々木です。 8月26日に行われた「はじめてのアーユルヴェーダ~スパイスを使って、身体の状態に目を向けてみよう~」のレポートです。場所は千駄ヶ谷社会教育館です。年齢も性別も多様な総勢24人が集まりました。 始めに先生から、どのような経緯でアーユルヴェーダと出会ったのかお話がありました。当直や勤務で多忙を極めていた時、インドと出会い、最初から食事や雰囲気にドはまりしたようです。最初の渡航から1年後に南インドでアーユルヴェーダを体験したところ、不調が良くなったことから、調べても何にも悪くないけれど体調不良に苦しむ人たち の治療のヒントがあるのではと感じたそうです。 ちなみにインドの外来診療は集団で受けるとのこと。日本はプライバシーに配慮しますよね。インドでは体の悩みは周りのみんなが聞いているそうで、診療の順番も割り込みが当たり前だそう(笑)。 さてさて、肝心の授業についてです。はじめに薬としてのスパイスの使い方についてお話があり、実際にスパイスが回ってきてかじってみる、という経験をしました。登場したスパイスは例えばこんな感じです↓ ターメリック: 体を温める、解毒、肝臓の代謝にいい。切り傷の殺菌と止血に使う。 クミン: 体を温める。炒ってお茶にするか、パウダーにお湯さすだけでもいい。おなかがもたれている、不妊治療などに(妊活にも)よい。子宮を浄化するので妊娠中は注意。 クローブ: 体を冷やす。チャイに入れる。苦いので一つか二つでOK。痛みにも聞くので歯が痛いときに噛むなど、麻酔に使ったりもする。 カルダモン: 辛みと甘みがあり、体を冷やす働きをする。中の種を食べるといい香りがす る。黒い種がいいカルダモン。 他に、シナモンやショウガの紹介もありました!ショウガはドライにすると辛くないそう。割と身近に見かけるスパイスの効能が分かって気軽に始められそうです! 次にオイルの説明がありました。アーユルヴェーダにはデトックスと滋養が基本だそうで、デトックスとしてはヒルを使った瀉血なんかもやるそう(怖)。また、老廃物を出すために、薬草をしみこませたオイル薬用オイルを体中のありとあらゆる穴から身体に入れるそうです。人間の身体はオイルをより吸収するのだそうで、あのオイルをおでこ にタラーっとするアーユルヴェーダのイメージは、脳のデトックスという意味があったんですね。ほかに、膝に小麦粉で土手を作ってオイルを入れるリウマチに効く治療なんかもあるそうです。 ちなみに・・・インドではふんどし一丁で施術を受けるらしく、ラグジュアリー感は一切ないそうです!! 授業では、薬用のごま油とココナッツオイルが回ってきて首の後ろや手首、足の裏など 好きなところに塗るという体験をしました。暑い日はココナッツオイルを塗って外に出るとそこまで身体が熱くならないそうです。。。不思議!!ココナッツオイルでガラガラペーをするとウィルスが身体に入ってくるのを阻止できるそう。ほかに綿棒で鼻に 塗ったり、 耳に塗ったりもするらしい。まさか、身近なオイルで風邪予防になるとは...。早速使える知識ですね! 先生は、アーユルヴェーダを通して人生が楽に暮らせるようになったとおっしゃっていま した。そんなにハードルが高いものではないし、スーパーで買えるものでできるので、1個 でもやってみて!ということだそうです。 そのあと、生徒さんからたくさんの質問が出て、それに一つ一つ親切に答えてくださいました。少し紹介すると... インドではアーユルヴェーダは無料(国立病院では激安)で、病気でなくても、ちょっと疲れているぐらいでも行っていい。 アーユルヴェーダは内臓だけじゃなくて骨の治療にも使う。 インドでは都会の人は西洋医学びいき。 男性には男性のセラピストがいる。 だそうです!! 成川先生の体験談も面白く、実際のスパイスやオイルを触ってみることで、アーユルヴェーダをとっても身近に感じることができた時間でした。(レポート:佐々木織恵、写真:片山朱実)

"死"の学校(第5回) 「遺影 / 命をアーカイブする」
死の学校開催も第5回になりました。様々な切り口から参加者にわかりやすく、楽しく、時に遊び心を持って授業を企画する(株)アンドフォーアス代表の柴田駿さん。今回も個性豊かな仲間たちとともにイエーイ(遺影)をテーマに写真家Ralph spielerさんと株式会社写真弘社の柳澤由利さんとともに、参加者のみなさんと一緒に学びと気づきと発見に出会える授業となりました。では、逆光の柴田さんの写真からレポートスタートです!笑自己紹介と、この授業に参加したきっかけなどグループでお話。“鳥を撮るのが好き”“人物を撮ることが多い”“写真の仕事をしている、遺影を撮る気分はどんな感じなのか興味がある”などが聞こえてきました。そんな中、遺影ってなんだ?という事で写真家Ralph spielerさんから自身の遺影撮影体験を通してお話がスタートします。認知症のお母さまの遺影を表情が残っている間に残しておきたいという娘さんからの依頼。その人にとって生きる時間を撮る。だから生活を共にしてから撮影した。最初はやっぱり反応がない。だから見守って撮る。日常を撮る。3ヵ月くらい経ってようやく本格的に撮りはじめ。好きな曲はなんですか?美空ひばり。曲をかけると嬉しそうに踊ったり歌ったり。その人らしさがどんどん現れる。撮影された写真は娘さんとの楽しそうな表情と柔らかな笑顔でした。AIの美空ひばりが偶然流れていた、、、などちょっと笑ってしまうエピソードを交えながらゆるゆるとお話をする写真家さん。参加者のみなさんも興味深げに聴きいっていました。次に4人一組になり、【自分が亡くなったときに、残るものは】【万が一のとき、「遺影」にしたい写真はある?】をシェアしていきました。残るものとしては、生活していた日用品やお金、不動産、今ならではのスマートフォンやSNSなどのデジタル遺品と共通だった一方、遺影に関しては様々な疑問や意見が出て盛り上がっていました。若い時の写真がいいのか、できるだけ今現在のものが良いのか。1枚ではなくお気に入りの写真を数枚組み合わせたい。父が亡くなって写真に困った時、葬儀屋さんで小さな写真を引き伸ばし修正し用意したが、これはその人なのか。遺影として撮ったわけではないが、好きな写真家さんに撮ってもらったお気に入りがある。そんな意見交換から生まれたのは、遺影は誰のためのものなのか自分で一番自分らしいと思う写真を選ぶのか。家族がその人らしいと思う写真を選ぶのか。様々なセルフイメージがある中で、こういう人がいたよね!と気持ちを残す一つの方法。それは必ずしも人じゃなくてもよくて、その人が大切にしていたモノや興味があったモノでもいい。この授業を通してみんなで考える大切なポイントが見つかった印象でした。そんなポイントを共有したのち、いよいよ写真を撮る・撮られるワークがスタート。みなさんそれぞれのポジションを見つけて、和気あいあいと撮影していました。 写真を撮り終えたら、一番これだと思う写真をシェアし、写真家さんのコメント付きで振り返りました。自分で撮影した写真をプロの写真家さんに講評いただく機会はないので、みんなそわそわ。ぜんぶ素敵で写真家さんからは、どの写真もちゃんとその人の目を見ているのがわかる写真で素晴らしいと高評価でした!短時間でも質問しあったり、お話をしたりとその人を知る態度が写真に出るとお話がありました。撮る側と撮られる側の関係。撮る意識がどんな写真になるのかを学べた時間でした。そして最後に株式会社写真弘社の柳澤由利さんからプリントの魅力についてお話を伺いました。1950年創業で73期目の写真弘社。数々のアート作品などのプリントも手掛ける老舗の会社です。最近はプリントを見る時間が少なくなったと語る由利さん。2011年3月11日東日本大震災。全てのデータがダメになったのに対し、プリントだけは残った。泥の中から見つかったフィルムを修復しプリント、思い出をよみがえらせた経験を交えながら、大切な写真はぜひプリントでと思いをお話しになっていたのが印象的です写真は文化だ、プリント技術を育てて未来に写真を残すとても印象的な言葉です。家族の思いを遺影に残す。遺影は考える時間や対面する時間をつくりだす。とても魅力的で大切なものだという気持ちが由利さんのお話から伝わってきました。手焼きである業務用プリントの技術取得は20年ほどかかるそうです。1秒の差が仕上がりに影響する世界。どこの業界も後継者問題を抱えていて、100年前のネガをプリントした写真をみながら、あらためて残すことの大切さも学んだような気がします。遺影という写真を通して様々な視点での気づきを得られた授業でした。9月1日(金)~9月30日(土)まで神田モノクロ館2Fギャラリー・アートグラフにて今回講師でいらっしゃったRalph Spielerさんの写真展が開催されます。ぜひチェックしてみてください。私も時間を見つけて見に行ってみようと思います。http://blog.livedoor.jp/shashinkosha/archives/55847217.htmlそして、死の学校第6回もお楽しみに!最後にみんなでパシャリ!楽しかったですね!(授業レポート 竹鼻ゆか / 写真 武田環 )

渋谷のど真ん中でルワンダを想う。 〜ルワンダで義足を作るガテラさん真美さん夫妻を囲む夜〜
今回の教室は渋谷駅前のShibuya-san。まさにThe・渋谷のど真ん中の会場にルワンダからやってきたルダシングワ ガテラさん、真美さんを講師に迎え、20名の参加者の方々が集まりました。ファシリテーター兼授業コーディネーターをteamはちどりの高木あゆみさん、授業コーディネート協力をチャリツモの船川諒さんが務め、ルワンダで義足を作るルダシングワご夫妻のストーリーに迫ります。▲Shibuya-sanは夏仕様でお祭りのような雰囲気の中、ガテラさん、真美さんの授業がはじまりました。ルワンダについて知っていますか?「その国について学ぶために、まずその国の過去に何が起こったのかを知るべきだと思う」とおっしゃる真美さん。ルワンダのいま、そししてその歴史について真美さん、ガテラさんのお二人から伺いました。ルワンダはアフリカ大陸の真ん中より少し右寄り、赤道直下にある国。内陸国で湿度も低いため暑すぎず過ごしやすい環境なんだそう(真美さん曰く日本の方がずっと暑い!)小さな国でありながら自然が多く、マウンテンゴリラを間近に見にいくツアーが有名で、世界中の人がマウンテンゴリラを見にルワンダに訪れるそうです。ルダシングワご夫妻が活動されている首都のキガリは、アクセスや物資調達が非常に便利で、生活面でほとんど不便がなく、とても過ごしやすい街だそう。ルワンダは国を挙げたIT化が進んでいたり、女性の社会進出が急速に進んでいたりと、様々な分野でいま世界中から注目されています。そんなルワンダですが、「アフリカの奇跡」と呼ばれています。わずか30年前の1994年、大きな悲劇がルワンダを襲いました。民族対立による大虐殺ルワンダ大虐殺です。この大虐殺に至るまでの歴史は、1959年から始まっているそう。当初から現在に至るまでルワンダの歴史と共に一緒に歩んできたガテラさんに、ルワンダで何が起きていたのかを詳しく語っていただきました。ルワンダは西洋に植民地化されたことで、もともと1つだったルワンダの民族が分かれ対立が生まれました。植民地支配をしたベルギー政府によって、仕事や外見によってフツ族・ツチ族・トゥワ族と民族を3つに分けました。そして、その民族に優劣をつけられたことで、ルワンダの人々の心に民族の違いが芽生えました。政権に優遇されたツチ族に対し、フツ族が嫉妬や憎しみをもち、フツ族が反旗を翻してツチ族を襲撃するということが1959年から始まりました。他国に逃れることができたツチ族の人もたくさんいましたが、ルワンダに戻りたいという思いを抱えた人々は、当時の事態をよく思っていなかった隣国ウガンダ政府軍と共にルワンダに侵攻することになります。その結果ルワンダ紛争が起き、国内でフツ族・ツチ族間の緊張が高まることとなり、1994年フツ族による大虐殺につながります。約3ヶ月間で100万人もの人々が犠牲になったと言われています。「虐殺を知らない人にその事実を伝え、教育を行うことで、2度と悲劇を起こさない」固い決意を持ってルワンダの人々が努力を積み上げた結果として、今のルワンダがあるのです。 義足を作って立ち上がってもらう その取り組みお二人が出会った当時、真美さんはケニアでスワヒリ語の勉強中で、ガテラさんは難民としてケニアにいらっしゃいました。交流を通し惹かれあっていったお二人。ある日ガテラさんが履いていた義足の装備が壊れてしまうことがあり、真美さんは自分が義足を作る勉強をすれば、彼の義足も作ることができると思ったそう。その後、真美さんは、横浜の義肢製作所で5年間トレーニングをし、そのスキルを習得しました。ルワンダ紛争の際、手足を切り落とされてしまったという人々がたくさんいました。義足を必要とする人は今後もさらに増えるだろうと考え、足を失った人々を支援すべく、1997年ガテラさんと真美さんの義足作りがスタートしたのです。彼らの初めての患者さんは地雷を踏んで両足を失ってしまった若いトラックの運転手の方で、初めての患者さんだったこと、また手元の材料や道具を補いながらの制作であったことなど、不安が大きかったそうです。それでも、最終的に義足を履いて見せてくれた笑顔を見て、「これでいい。よくできている。」という気持ちを受け取ったと言います。「彼の笑顔がその後の活動の大きな励みになった。」と真美さん。飲食店を改造した小さな工房からスタートしましたが、その後ルワンダ政府から譲渡された土地を開発し、お二人と地元の人々の手で義肢製作所を作り上げました。 ▲義足をつけ笑顔を見せる患者さんのスライドと共に スポーツを通じた支援活動車椅子の競技やパラリンピックへの選手の送り出しなどもお二人は取り組んでおり、2000年には、シドニーパラリピックの際に初めてパラリンピックの舞台にルワンダの選手が出場することができたそう。障がいのある人たちが、スポーツを通じて交流や自分の能力を知る機会を得ることができ、世界の舞台で、勝ち負けだけでなく、人と出会い刺激し合うことでコンプレックスを感じなくなる等、外の世界を感じ触れる機会を多く創出しています。障害を負ったことでコンプレックスを持ってしまう人も多いそうです。それまで、できたことができなくなってしまうことへのコンプレックスで思い悩んでしまった人に、「できることもある」と気づいてもらうために、スポーツの支援は欠かせなかったそう。過酷な試練を乗り越えて気候変動の影響で、キガリの土地は度々川が氾濫しています。足に障がいがある人々は川が氾濫した後、ルダシングワご夫妻の義肢製作所に来られなくなってしまうため、その都度、お金をかけて舗道の修理をし、近所の人々の力を借りながら水を汲み出す作業を行い、原状回復させることにとりくむような出来事が度々あったそうです。洪水の危機が迫っていたある日、役所の人が来て、安全のため土地からの強制退去を命じられます。そして、なんとお二人が築き上げてきた製作所の建物を壊されてしまったのです。「20年間取り組んできたことはなんだったのか」、「まだ義足が必要な人たちはたくさんいる」「前に進むためにはお金が必要」様々な思いが巡り、絶望的な気持ちに襲われたそうです。「絶望した人間が一番必要なのは、うしろからやりなさいと言ってくれる力」と真美さん。瓦礫の中で泣いていた猫や、瓦礫を拾い、食い扶持にしている子どもたちに出会ったことで、彼らから生きる強さをもらい、「立ち上がるしかないんだ」という気持ちになったと言います。「はじめたことをやめることはできない。自分たちがスタートしたことを、製作所が壊されたことをきっかけでやめるという選択肢を取ることはできなかった。最初も何もないところから始まった。やりたいことをいろんな人に伝えて支援してくれた人たちがたくさんにいた。今回もそうだった。その人たちの気持ちを踏みにじることはできない。」そんな思いを胸に、この過酷な状況からお二人はまた前を向き、新しい土地を探し、新しい義肢製作所を再建することを決めました。再建にあたり日本にも助けを求め、多くの人々の支援で、新たな建物を作ることができたが、素直に嬉しく、人々の助けがあったからこそここまでこられたと、お二人は感じられているそうです。もともとの製作所があった場所はいまもガテラさんが毎日足繁く通い、木を植えたり、ベンチを作ることで、人々が集う場所として活用されているそうです。製作所だった時から多くの人が集う場所だったから、それを今後も大切に保っていきたいと思っているとおっしゃっているのが印象的でした。神奈川県の海外研修員を受け入れる制度で、ルワンダ人に日本で義足を作る勉強をしてもらう取り組みなどを通し、現在は義足を作る技術は現地の人たちもできるようになり、自分自身で工房を持っている人もいるなど活躍しているそうです。今後さらに後継者を作っていきたいと真美さんはおっしゃいました。▲座談会では、参加者の方々から多くの質問が出ました。 私たちが考えていきたいことガテラさんと真美さんは、今後もこの活動を見守って欲しいと訴えました。ルワンダでは政治の世界でも女性が多く進出していると言います。性別ではなく、その人がどういうスキルや知識をもっているかを重要視するそうです。国会議員の60%以上が女性であり、次の大統領が女性になるかもと言われているということです。アフリカの奇跡と呼ばれ、世界中から注目されていても、まだまだ歴史は爪痕を残し、いまでも様々な社会問題を抱えているルワンダ。歴史上の悲劇を2度と起こさないために、若い人を育てていこうという姿勢が見られるそうです。現在で行われている大虐殺の追悼集会では、もともと虐殺を体験した人たちが中心となり企画されていたものでしたが、最近では学生など若い世代の人々が自らの意見を積極的に反映させるような動きも見られていると言います。「真美さんがルワンダで生活する中で、葛藤や乗り越えたことはありますか?」という参加者からの質問に対し、真美さんは、「最初は近づこう近づこうと自分なりに努力したが、近づくことはできないし、近づきすぎる必要もないと思った。自分には日本人のアイデンティティがあり、それを曲げる必要はないと気づいた。」「どんな人種であってもわかりあうために必要なのは、お互いの文化を尊重し、異なる文化を教え合うということである」と語りました。対立はどんな社会やコミュニティにおいても起こりうること。相手の文化を尊重し、学び合うことの重要性を改めて今回の授業で考えさせられることとなりました。遠く離れたルワンダで起こったできごと、そして現在もその社会の復興に大きく貢献しているガテラさんと真美さんの活動を、授業を通し、こうして学ぶことができます。世界のどこかで起こった出来事を学び、伝え、そしてサポートしたり、自ら行動したりすることは、自分の身の回りの社会をより良くすることにきっとつながるはず。ガテラさんと真美さんの「立ち上がるしかない」という強い言葉に心を突き動かされる思いでした。▲最後に全員で記念撮影 (写真:鈴木夏奈、高木あゆみ(teamはちどり))(授業レポート:臼倉裕紀)
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